古代ギリシアのプラトンは 《古代・ギリシア・雑誌》

『饗宴』のなかで次のように書いている。

すなわち、人間の祖先は球形のアンドロギュノスandrogynousだったが、神の怒りに触れたため男と女とに二分され、それ以来お互いを追い求めて昔のように一体になろうとしているのだ。

これが性愛についてのもっとも古い考えである。

ソクラテスは、美しいものこそ善であり、男は女より美しいから、最高の善は男性同性愛だ、と述べた。

『旧約聖書』にも、ソドムSodomとゴモラGomorrahの町で同性愛が流行していることが記されている。

ローマ時代には異性愛を歌ったカトゥルスのような詩人も現れたが、ストア学派の哲学者たちは感情を軽視して欲求の満足を強調した。

キリスト教の誕生時に聖パウロは、肉と御霊は相反するものだから性行動は不道徳であり、独身・童貞・処女が好ましいと考えた。

この禁欲説をアウグスティヌスが体系化し、アダムとイブの子孫である人間は原罪を背負っていて、性的快感は悪だとした。

しかし、快感を伴わぬ単なる生殖を目的とした結婚ならば善だ、といった。

1世紀ころになると、ヨーロッパで宮廷風の愛が流行し、男は天使のような女性に奉仕する一方で、肉体的な性の満足は否定されていた。

こうしたロマンチックな騎士の愛は、ルネサンス時代になるとプラトニック・ラブPlatonic loveとして広まった。

愛する人の美や善を瞑想することにより神性に達すると考え、性欲を無視したのである。

16~17世紀になるとピューリタン的考え方が出現し、ルターやカルバンは愛と結婚と性行動とは不可分のものだと考えた。

すなわちプラトニック・ラブが性生活に結び付いたときのみが成熟した結婚生活とされていた。

18世紀になると科学的合理主義が栄えて、フランスのモラリストであるシャンフォールは「愛とは二つの粘膜の接触だ」とさえ極言した。

しかし、18世紀後半にはロマン主義が復活し、自然や官能に戻れと叫ばれた。

19世紀の左派ロマン主義では、性が社会や道徳を超える抗しがたい力として率直に描かれ、右派ロマン主義では、男女を無性化して肉体よりも霊魂を重視した理想主義が唱えられ、これがやがてビクトリア朝の性抑圧につながっていく。
update:2010年02月25日